日常で何気なく使っている言葉の中には、古代中国の書物や人物の逸話に由来するものがあります。それが故事成語です。物語ごと知ると、言葉の輪郭がくっきりして、使いどころを間違えなくなります。今回はよく使う6つを取り上げます。
矛盾(むじゅん)
話のつじつまが合わないことです。 由来はあまりにも有名な、武器売りの話です。
ある商人が「この盾はどんなものも通さない」と言い、続けて「この矛はどんなものも突き通す」と売り込んだ。ある人に「では、あなたの矛であなたの盾を突いたらどうなるのか」と問われ、商人は答えられなかった——という寓話に由来するとされています。理屈の弱点を一撃で突く切り返しが見事で、長い時を経た今も同じ言葉が使われています。
蛇足(だそく)
あっても意味がない、余計な付け足しのことです。 「蛇足ながら申し添えますと」のように、前置きとして使われます。
由来は、蛇の絵を早く描く競争の話です。真っ先に描き上げた男が酒の杯を手にし、余裕を見せて片手で蛇に足を描き足していたところ、その間に別の男が描き終え、「蛇にはもともと足がない」と言って杯を奪い、酒を飲んでしまった、と伝えられています。完成しているものに手を加えて台無しにするという、身に覚えのありすぎる失敗を、たった二文字で言い表した言葉です。資料の作り込みすぎにも通じる教訓かもしれません。
杞憂(きゆう)
しなくてもよい心配、取り越し苦労のことです。 「心配は杞憂に終わった」のように使います。
昔、杞(き)という国に、天が落ちてきたらどうしようと心配して、夜も眠れず食事も喉を通らなくなった人がいた——という話に由来するとされています。天が落ちるはずはないのですが、当人にとっては切実です。「杞憂だよ」と他人に言うと突き放した響きになりますが、あとから振り返って「あれは杞憂でした」と自分に使うぶんには、ほっとした気持ちがよく伝わります。
漁夫の利(ぎょふのり)
二者が争っている隙に、第三者が利益を横取りすることです。
シギという鳥が貝の身をついばもうとしたところ、貝が殻を閉じてくちばしを挟んでしまった。互いに譲らず睨み合っているうちに、通りかかった漁師が両方まとめて捕らえてしまった——という寓話に由来するとされています。もとは、隣国同士が争えば第三国に飲み込まれる、と諸侯を説得するための話だったと伝えられており、外交の比喩として生まれた点も興味深いところです。競合2社の消耗戦を横目に別の会社が伸びる、という現代の市場でもそのまま通用します。
四面楚歌(しめんそか)
周囲がすべて敵で、まったく味方のいない孤立した状態です。
漢と楚の戦いで、追いつめられた楚の項羽が、夜、四方の漢軍から故郷・楚の歌が聞こえてくるのを聞き、「漢はもう楚を手に入れたのか。楚の人間のなんと多いことか」とひどく驚いた、という故事に由来します。歌によって自分の孤立を悟る場面が、この言葉の印象を強くしています。会議で全員から反対された、という程度の場面で使うと大げさですが、だからこそ本当に効かせたいときに強い言葉です。
推敲(すいこう)
文章を何度も練り直すことです。「原稿を推敲する」のように、今ではすっかり日常語です。
唐の詩人・賈島(かとう)が、「僧は推す月下の門」とするか「僧は敲(たた)く月下の門」とするか悩み続け、考えに没頭するあまり高官・韓愈(かんゆ)の行列に入り込んでしまった。事情を聞いた韓愈が「敲く」の方がよいと助言した——という故事に由来するとされています。たった一字にそこまで悩む姿勢そのものが、この言葉の中身です。メールを送信する前にもう一度だけ読み返す、あの数秒も立派な推敲です。
物語ごと覚えると忘れない
矛と盾、蛇の足、落ちてくる天、シギと貝、四方の歌、押すか叩くか。故事成語は、意味だけでなく物語と一緒に覚えると、言葉のイメージをつかみやすくなります。 会話で使うときも、由来をひと言添えれば、相手の記憶にも残る話になりますよ。
出典・注記
- 矛盾 — 『韓非子』難一。「楚人有鬻楯與矛者、譽之曰『吾楯之堅、莫能陷也』。又譽其矛曰『吾矛之利、於物無不陷也』。或曰『以子之矛陷子之楯、何如』。其人弗能應也」とあります。本文の商人のやりとりは、この原文にそろえています(2026年8月8日 確認) ctext.org
- 蛇足 — 『戦国策』斉策二「昭陽為楚伐魏」。「一人蛇先成、引酒且飲之、乃左手持卮、右手畫蛇、曰『吾能為之足』。未成、一人之蛇成、奪其卮曰『蛇固無足、子安能為之足』。遂飲其酒」とあります。先に描いた男がいったん杯を手にし、足を描いている間に別の男が杯を奪って飲んだという筋です(2026年8月8日 確認) ctext.org
- 杞憂 — 『列子』天瑞。「杞國有人、憂天地崩墜、身亡所寄、廢寢食者」とあります。原文は「天地が崩れ落ちる」で、寝食を廃した点もここによります。本文では読みやすさのため「天が落ちてくる」という一般に流布した言い方にしています(2026年8月8日 確認) ctext.org
- 漁夫の利 — 『戦国策』燕策二「趙且伐燕」。「蚌方出曝、而鷸啄其肉、蚌合而鉗其喙。(中略)兩者不肯舍、漁者得而并禽之」とあります。蘇代が趙の恵王に対し、趙と燕が争えば強大な秦が利を得ると説いた場面で、本文の「外交の比喩として生まれた」はこの文脈によります(2026年8月8日 確認) ctext.org
- 四面楚歌 — 『史記』項羽本紀。「夜聞漢軍四面皆楚歌、項王乃大驚曰『漢皆已得楚乎。是何楚人之多也』」とあります。史記が記しているのは項羽が「大驚」した(ひどく驚いた)ことまでで、楚歌が項羽の心を折るために仕組まれた作戦だったとまでは書かれていません。そのため本文では作戦だったとする説明を採っていません(2026年8月8日 確認) ctext.org
- 推敲 — 国立国会図書館「レファレンス協同データベース」の事例。「唐の詩人賈島(かとう)が、『僧は推す月下の門』という自作の詩句について、『推す』を『敲(たた)く』とすべきかどうか思い迷ったすえ、韓愈(かんゆ)に問うて、『敲』の字に改めたという故事から」と回答されており、典拠として『唐詩紀事』が挙げられています。賈島は779〜843年の人で、この語だけは唐代(およそ1200年前)の話です(2026年8月8日 確認) https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000058821&page=ref_view
- 故事の本文は、読みやすさのため現代語で要約しています。各語の意味・用法は、国語辞典類に広く共通して記載されている範囲の説明にとどめており、特定の辞典の記述を引用したものではありません。
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